第二期 根岸塾 宮地嶽古墳出土大型頭椎大刀の復元研究九州国立博物館との共同研究

1.装飾大刀の技術の歴史からみる古墳時代終末期の大型倭装大刀

5世紀に朝鮮半島から装飾大刀とその技術が渡来し、後に倭製化した。金銀きらびやかな大刀の出現によって日本列島の大刀の景色が一変した。それまでの木への彫刻と赤と黒の漆で塗り上げる装飾技術が神業とも言えるほど精緻な金工技術によって、大きな変化を遂げたのである。それまでの伝統的な倭装大刀は、渡来系装飾大刀の影響を受けて、把や鞘が金銀の板で覆われるようになり、さらにその後鳳凰文や龍文を取り入れ豪華さを増す。把や鞘も金銀の堤状連珠文の線が巻かれるようになり、そして大型化していった。そのようにして、一旦は渡来系大刀の要素を取り入れて変化した伝統的な倭装大刀も、頭椎大刀を生みだし新たな倭独自の装飾技術が生まれるのである。その倭装大刀の技術の大型化への道こそ、渡来系技術を受け入れて倭製化し、さらに大型化していく倭の文化の一つの典型であると言える。宮地嶽古墳出土大型頭椎大刀はその代表格である。

2.大型化・巨大化を担った倭の技術

頭椎大刀の平均的な刀身長については正確な数値を持たないが、仮に平均的な刀身長が1000㎜程度だとすれば、宮地嶽古墳例は約2.6倍である。刀身の厚み、幅もその倍率で作るならば必要な鋼の質量は2.6の3乗倍、約18倍となる。刀身の一振りあたりの質量は1kg程度というが、宮地嶽古墳例は18kg前後になるのであろうか。また、鋼の加工に要する力(鍛造力や加熱量)は約18倍が必要となる。もちろん必要な鋼の質量が長さの3乗倍になるとは限らないが、巨大大刀の制作にはそれだけ大きな力が必要になることが分かる。刀身には様々な衝撃力が加えられるが、刀が巨大になればなるほどその衝撃力に対する応力はとても大きくなり、小さな傷でもあればそこにかかる応力集中はとてつもなく大きな力になる。巨大大刀の刀身の曲げや折れ、欠けなどを避けるためにはわずかな傷も許されないのである。例えば、把を刀身の茎に接合するには、通常の長さの大刀では把と茎との摩擦力と目抜き釘によって行われるが、長さが2.6倍の巨大大刀でそれを同じ方法で接合できるのか。遺物の遺存状況が悪いため調査によってそれを知ることはできず、復元製作の試行錯誤によって確かめることになろう。巨大大刀を作るにはそれだけ精緻でミスのない技術が求められることの一例である。もちろん巨大化した大刀の課題はそれだけではない。復元製作を通して確かめたい。

以上のように古代においては、「巨大なもの」は「優れた技術」によって作られた。巨大化の文化の技術的裏付けはこの点に認められよう。古代の倭では、製品を大型化することが、技術の精度を高め、新しい生産システムを誕生させることに繋がったのである。技術革新の始まりである。